三題噺/お題:『レンガ』『50』『毛玉』
『榎津市立高校の中庭には築50年を越えるレンガ造りの古い建物がある。屋根に 並ぶ毛玉、すなわち猫は、かつて理科教材の倉庫だったこの建物が、今では動物の 巣となっていることを示している。』 民■書房 榎津市立高校名所図絵 榎津(えなつ)市は、大阪市の南西に隣接する人口10万人足らずの小都市である。 新大和川(AD1704完成)と大和川放水路(AD1901完成)に挟まれた細長い街で、古代の 摂津國住吉郡榎津(えなつ)郷の一部にあたる。 4月10日の放課後、化学(ばけがく)部の部室に高木俊之が飛び込んできた。 「大変だぁ!」 「なんや? 阪神が甲子園で勝ったちゅう話なら、昨日の晩のうちに知っとるで。」 化学部長の岡本勇一が答えた。 「これを見ろ!」 高木俊之は一枚の紙を取り出した。 『文部科学省は理系教育研究指定校「スーパーサイエンスハイスクール」に、榎津 市立高校など27校を指定すると発表。これは高度な科学技術、理科、数学教育を する研究校で、政府が2500万円を助成する。』 「2500万円!?」 「物理とかと山分けしたって、バケの取り分、300万くらいにはなるな。」 「こりゃ、緊急部長会議開いて使い道決めなあかん。」 翌日、榎津市立高校の化学第一教室に数学同好会など理科系部活動の代表たちが 集まった。物理部長の崔寧煕(ちぇ ねいき)が挨拶する。 「我が榎津市立高校は『スーパーサイエンスハイスクール』に選ばれました。今後 3年間、日本政府から使い切れないほどの資金が支給されます。みなさん、明日の 榎津高のため、そして『人類の進歩と調和』のために、この資金の有効な使い道を 考えようではありませんか。」 「先生に相談せんでええんやろか。」 どっかでこんな声もするが、崔寧煕、無視して続ける。 「私は、次の4つの目標を提案します。第一目標、『よりゆたかな生命の充実を』。 第二目標、『よりみのり多い自然の利用を』。第三目標……。」 彼が、30年以上昔の万国博覧会公式ガイドから盗用していることに気付く者は、 誰一人としていなかった。 「これで化学部は薬品買い放題や。」 「新しい望遠鏡を買うことにします。」 化学部長岡本勇一と天文部長川村明日香に続いて、マイコン部の西村拓海も言う。 「最新式のP4を5台ばかり。」 「あんたら、M資金あるんやから、予算などいらんやろ。生物部はP2でええで。 遺伝子組み換え施設レベル2や。」 生物部の『解剖王』吉野が指摘したM資金、つまり『マイコン資金』とは、昔の 部員が密かに蓄えたという資金である。その額は数十万とも数百万とも言われる。 「生物部だって、10年前にボロもうけしたカネが未だに残っていると聞いたぞ。」 「それが、確かに50万円どこかに隠してあるはずなんやけど、行方不明なんや。 もしかしたら、あの『猫屋敷』にあるんかも知れへん。」 「静粛に。」 崔寧煕が制止する。 「我々がここに集まったのは、予算の有効な使い道を議論するためです。」 数学同好会の三宅真希は言う。 「予算は、学校全体の学力向上に使うべきで、特定の部の活動資金にするべきでは ないと思います。数学部はこの予算を1円も使いません。」 「そりゃ高校レベルの数学に大したカネはいらへんやろ。そやけど、化学部は薬品 買わなあかんから、なんぼでもカネがいるんや。それに、生物部みたいに売るもん あらへんから、自分で稼ぐわけにも行かへん。」 「そりゃ、『経営努力が足りん』ちゅうねん。」 「ちょっと待った!」 化学準備室に現れたのは、演劇部の部長。 「我々も当然予算分配を受ける権利がある。」 「あんなぁ、スーパーサイエンスハイスクールやで。科学(しながく)以外に遣たら あかんやろ。それに、演劇部やら文芸部やらに分けてしもたら、化学部の取り分、 減るやないか。」 「予算を独占するなんて横暴だ!」 「静粛に!静粛に!」 「野球部にも予算を回してくれ。」 どこで話を聞きつけたのか、運動部関係者たちも現れた。 「ゼニ欲しかったら、甲子園行ってみい。いや、浪速高に一勝でもしてみい。いや、 浪速のエース相手に、ヒット1本で許したる。」 「だいたい、榎津高で強い運動部なんかあるのか。」 「さて。弓道部女子が30年くらい昔に高校総体で優勝したくらいかなぁ。最近は 山岳部くらいか。ハンドボールやホッケーもたまには勝っとるようやけど。」 「マイナースポーツばっかしや。」 「我がLCFに投資すれば、半年で倍にしてお返しします。」 「はっきし言うて、地学部みたいなヲタクにくれてやる予算などない。」 「さ〜ぁ、幸運の壺だよ。お代はたったの500万。」 「ゼニゼニいうな。ゼニの亡者ども。」 「そんなこと言ってもさぁ、大阪人はゼニの亡者じゃ〜ん。」 「あ、ワシの財布がない。こら、全財産72円返せ!」 「吹奏楽はお金がかかるんだから、多めに予算を回して欲しい。」 「ええい、各部平等に分配だ。」 「実績に応じて分配すべきです。」 「静粛に!静粛に!……」 翌12日朝、明石和茂は物理部長崔寧煕に事の顛末を聞いた。 「で、どうなったって?」 「結局結論は出ませんでした。」 「2500万だからな。もっとも、学校側も使うから、部活に回るのは500万程 だろうけど。」 「いや、特別科目『数学E』や、基礎科目の『総合科学E』とかにそれほど資金が かかるとは思えませんし。先生方の時間外手当くらいでしょう。市の工業研と連携 すると言っても、半分は残るはずです。」 「物理Eや化学Eみたいな実験科目はどうなんだ。」 「設備はすでに市の予算で買ってあるし、消耗品だって、倉庫に山ほど在庫がある から、1000万くらいは部活動に回ると読んでいるのですが。」 「新規事業は、大学から非常勤講師呼んで集中講義をするくらいか。」 「しかしまあ、どこも同じこと考えていますね。」 と、崔寧煕。彼が取り出したのは、札幌北から沖縄開邦まで27校の研究内容の 一覧である。確かに、特別科目や大学との連携など共通点が多い。 「いっそ、全額部活に回せば、特色作りにいいかも知れんな。で、倉庫に在庫って、 まさかあの猫屋敷か?」 旧理科倉庫は、本館裏の中庭にある薄汚い建物で、今では猫の巣になっている。 崔寧煕は明石和茂に言った。 「これは幽霊が出そうだな。お祓いでもした方がいいかもな。」 「俺は幽霊なんか信じないぞ。どうしてもって言うなら神父さん呼んでもいいが。」 「お坊様でも神父様でもどっちでもいいから早く呼んでくれ。」 「まったく。いい加減だな。おおかた家に仏壇と神棚、両方あるんだろ。」 「別にかまわないと思うが。」 崔寧煕は錆び付いた古い扉を開けた。 「これはヒドイな。まるで……。」 倉庫の中はあまりにも雑然としていた。崔寧煕、言うべき言葉を失う。 「目録とかはないんか?」 「10年ほど昔の先輩方が、目録を作ろうとして挫折したから、中途半端な目録が あるだけです。過去50年、完全な目録が作られたことはありません。」 「こりゃ強敵だ。」 「さっそく明日(13日土曜)の朝から大掃除をしましょう。もちろん、先生方には 内緒です。」 翌13日朝、ガラクタと人間の壮絶な戦いが始まった。次々運び出される木箱や ガラス瓶。ラベルすらない薬品や、正体不明の標本類、用途不明の機械類。 「なんか金目のもんあらへんやろか。」 禁断の倉庫が開封されると聞いて駆けつけた酒井亮子は、倉庫を覗き唖然とした。 「……全部まとめて焼いた方が早いんちゃう?」 「それが、有害物質が山ほどあるそうだ。」 猫がひっくり返したのか、床には割れたガラス瓶が散乱し、混ざり合った薬品が 謎の化合物を作っていた。用途不明の奇妙な機械は、過去に実験器具として使われ ていたのであろう。動植物や岩石の標本は一見無害に見えるが、膨大な数の害虫が 住み着いている。そして、採集地や日付の不明な標本など、ただの粗大ゴミにすぎ ない。 化学部の高木は、標本箱から飛び出した数十匹ものゴキブリに顔面を直撃され、 なにやら訳の分からない叫び声をあげて飛び出していった。その後、彼の姿を見た 者は次の月曜まで誰もいなかった。 「この猫、鍋にしたら美味いんちゃうかな。」 生物部の解剖王吉野、猫を見るとさっそく食べたくなってきた。 「やめた方がいいでしょう。猫なんか誰も食べませんよ。」 物理部長崔寧煕が制止する。彼には猫や蛙を食べる野蛮な習慣はない。 「そんなら、こっちのゴキちゃんフライにして……」 「うぇ、そんなもの食べるのはやめてくれ。」 「あんた、知らへんのか。奈良や和歌山ではゴキブリは珍味なんやで。」 「まさか。知らなかった。」 「嘘やあらへん。動物である以上、足があろうがなかろうが、何でも料理するのが 常識っちゅうもんや。大阪にもあるやろ。フグ料理の店。あんた、家がドイツ料理 売っとるからって、ジャガイモばっかし食っとったらあかんで。」 「いや、別に、ジャガイモしか食べないって訳では……。」 「なに、悪いこと言わん。いっぺんゴキの躍り食い、やってみ。」 崔寧煕、あっさり戦線離脱。 「そんじゃ、昼は猫鍋とするか。」 吉野、棚の上の太った三毛猫を見ながら一言。食べられると知ったからか、猫は 飛び上がり彼の顔に爪を立てた。吉野は、標本棚とともに倒れた。 「ぎゃ〜」 倒れた標本棚は、化石をあさっていた地学部員達を直撃し、割れたガラスとアル コールやホルマリン、液漬けの動物標本が降り注ぐ。これで地学部員2名が病院送 りとなった。 同じ頃、マイコン部の西村たちは真空管と戯れていた。発掘された古代の装置、 『物理部・佐藤信利』と名札の下がった謎の機械に適当な真空管を取り付け、延長 コードで引いてきた電気を供給。機械は……。 マイコン部員3名と巻き添えを食った数学同好会の三宅がススまみれとなり戦線 離脱。昼までに戦力の半分以上が失われた。 「なぁ、和(かず)、やっぱ呪われとるんちゃう?」 あまりの犠牲者の数に、酒井亮子は心配になってきた。 「まさか。運が悪かっただけだ。」 もちろん、明石和茂は呪いなど信じない。 「でも、運が悪いっちゅうのも呪いちゃうん? 榎津の南にT石っちゅう町がある やろ。あそこ、最近財政が破綻寸前になったり、犯罪が増えてひったくりが倍増し たりしとるんやけど、それが呪いなんやて。なんでも、取石(とろす)池ちゅう池を 埋めてしもたんで、そこに棲んどった爺さん蛇の祟りなんやて。」 そこに、化学部長の岡本が古い木箱を持ってきた。 「お〜い、明石、これあんたのやろ。」 「は?」 「ほれ、見てみ、『生物部・明石輝彦』て書いてあるで。」 「おい、俺は生物部じゃないぞ。それに、これは親父の名前だ。」 「そりゃ知らへんかった。で、何が入っとんや。」 「待て待て、今開けるから。」 蓋を開くやいなや、何かの胞子だろうか、煙のようなものが噴き出した。明石と 岡本、全身真っ白になった上に咳き込み、あえなく戦線離脱。 「……やっぱ呪いや。」 酒井、10名を越える犠牲者に、呪いの存在を確信した。こうなると、取るべき 手段はたった一つ。お祓いだ。 「……と、いうわけやねん。悪霊を退治できる機械、なんかあらへんやろか。」 「なるほど。しかし、相手が悪霊となると、ロボット阿倍晴明が必要だな。ただ、 ロボ陰陽師となると、開発は相当大変だろう。1年じゃきかんな。」 天災発明家佐藤信利はしばらく考えた。 「仕方がない。ここは専門家に頼るしかない。餅は餅屋。怨霊は密教僧だ。安養寺 行くぞ。」 「確か、安養寺って、密教やなかったはずなんやけど。」 「ま、なんとかなるだろ。」 安養寺の住職は、快く依頼を引き受けた。 「とりあえず様子を見てみます。話を聞いた限りでは、呪いではないでしょう。」 住職は1人しかいない小坊主を連れて、榎津市立高校へやってきた。 「これが問題の倉庫や。」 酒井の案内で、一行は倉庫へと足を踏み入れた。しかし……。 僧侶・小坊主・発明家の3人が同時に乗ったため、腐った床板が真っ二つに折れた。 3人はもつれ合うように地下室へと落ちていった。 「地下室まであんの?」 もはや、呆然とするしかない酒井であった。 「いたたたた。誰か、助けてくれ。」 住職、腰を強く打って歩けなくなり、小坊主の押す手押し車に載って寺へと帰っ ていった。発明家の佐藤も、悪霊に負けて退散。 その日の夕方、気絶していた物理部長にして今回の作戦の指揮官である崔寧煕が 目を覚ましたとき、まともに働ける者は誰一人として残っていなかった。 「これは出直すしかないな。あのレンガ倉庫、やっぱり呪われているようだ。何か いい方法は無いんだろうか。」 諦めきれない崔寧煕は、ついに非常手段に出た。科学者を目指す者として絶対に やってはならないこと、すなわち、悪の田中一等兵の力を借りることである。 「まったく、近頃の若者はなっとらん。見ておれ。ボロ倉庫の一つや二つ、すぐに 片づけてやる。」 こう言うと田中一等兵、夕闇のレンガ倉庫へと消えていった。しかし、夜になっ ても帰ってくることはなかった。ついに、すべての希望は潰えたかに見えた。 この夜、崔寧煕は今日の出来事を祖母に話した。 「諦めたらあかんで。何が悪かったか、ように考えてみ。」 「祟りが悪いんでしょうか。それとも、段取りが悪かったんでしょうか。」 「倉庫を片づけるならば、役割分担をきちんとして、端から順番に片づけなさい。 何事も、強い信念を持って打ち込めば成し遂げられます。」 崔寧煕は、徹夜して段取りを決めた。 翌日、明石和茂たちは再びレンガ倉庫に挑んだ。 「悪霊など恐れるにたりません。虎穴に入らずんば虎児を得ず。断じて敢行すれば 鬼神もこれを避く。」 人数は昨日より減ったものの、作業速度は比べものにならないほど早くなった。 「お〜い、地下室で顕微鏡らしき物体を発見。」 「さっそく上げてくれ。」 顕微鏡を一目見た崔寧煕は絶句した。なんと、ドイツ製の顕微鏡だったのである。 さらに、化学天秤や大型望遠鏡なども発見された。そして、酒井亮子を狂喜させた のは白金のシャーレや蒸発皿である。 「これ1枚くれへん?」 「ダメです。」 あっさり断る崔寧煕。 「お〜、こりゃ大漁や。」 化学部長の岡本は大量のガラス器具を発見。さらに大量の未開封化学薬品を手に 入れた。これで10年は消耗品を買う必要はない。 そのとき、地下室から田中一等兵が掘り出された。 「え〜と、田中一等兵、どこの部が引き取りますか?」 崔寧煕の問いに答える者はいない。 「こらぁ、ワシを一晩放ったらかしにしよって。」 田中一等兵、カンカンに怒りながら去っていった。 「次が最後だ。」 倉庫の底から最後の木箱が運び出された。木箱の中には古い電気機器が。箱には 『佐藤信利』という文字が書かれている。マイコン部の西村は、早速延長コードを 引いてきて電源を入れようとした。 「うゎ、それ、触るな!」 崔寧煕が止めるが、時既に遅し。機械は大爆発し、木っ端みじんに吹き飛んだ。 幸い、すでに倉庫は空になっており、残る作業は目録作成と再搬入のみ。その日の 夕方には全ての作業は終わった。 かくて、人類はガラクタに勝利を収めた。しかし、犠牲はあまりにも大きかった。 今度ばかりは崔寧煕(ちぇ ねいき)も懲りたようだ。 「やっぱり、試薬はちゃんと買うべきだなぁ。」 もう血の海を見ることはないだろう。 続く……かな? ※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。