三題噺/お題:『レンガ』『50』『毛玉』
「手術の成功率は……今の時点では何とも言えません。ただ、50%以上、と いうことはないでしょう」 病室を、重苦しい雰囲気が押し包んでいた。 真っ白なシーツに彩られた、無機質なベッド。 そのベッドの中で、すうすうと寝息をたてているのは、俺の妹の水奈だった。 「……半分以下、ですか」 一言一言、噛み締めるように呟く親父。 俺と水奈を、男手一つで育ててくれている、親父。 「もちろん我々も最善を尽くしますが……万一ということはありますから……」 「……」 「ただ、水奈さんの体力を考えると、今手術したほうがいいのは確かです」 「……そう、ですか……」 じっとりと重い沈黙が、病室の中を埋めつくしていた。 もともと、親父は口数が多いほうではない。 用がなければ、何日でも黙ってるんじゃないかと思うぐらいだ。 「西野さん」 「……水奈が起きたら、聞いてみることにします」 「そうですね。よく相談してください」 それだけ答えると、先生は水奈の顔をちらりと見る。 そして、一礼して病室を出ていった。 「洋二」 「ん?」 「ちょっと、水奈のこと見ててくれるか」 「ああ……親父、もう若くねえんだから無理するなよ」 「……ああ」 いくら頑強な親父でも、二晩も徹夜をすればガタがこないほうがおかしい。 親父に言わせれば、多少無理しても大丈夫だ、子供が心配することじゃない、 ということになるけれど。 「……ん……」 ベッドの上から、小さな声がする。 どうやら、水奈が目を覚ましたらしい。 「……あ……おはよ、お兄ちゃん」 「おはよう。大丈夫か?」 「ん、大丈夫」 身体を起こそうとする水奈の肩を手で軽く押さえ、僕は優しく問いかける。 つい二日前、家の中で倒れたときのことを思い出しながら。 「……あ、お兄ちゃん、毛玉付いてるよ」 「え?」 「ほら、そこ、襟のところ」 水奈の言うとおり、俺のベストの襟口に、小さな毛玉がついていた。いつも 服の手入れをしていた水奈は、そんなことも見落とさなかったのだろう。 「……取ったよ」 「もう。ちゃんと手入れしないとダメなんだよ」 「ああ、そうだな」 何の変哲もない、まるで日常のような会話。 でも、そんな会話をしているここはレンガ造りの我が家ではなく、消毒液の 匂いとリノリウムに包まれた、無機質な病院の一室だった。 「もう退院してもいいのかな」 無邪気な問いかけに、俺は思わず口ごもる。 微妙に居心地の悪い沈黙。 「……よかったら、先生がいいって言うだろ」 俺の口から出てきたのは、答えを先延ばしするだけの言葉だった。 ……はっきり、教えてやるべきなんだろうか? それとも、言うべきじゃないんだろうか? 頭の中をぐるぐると疑問符だけが渦を巻いていく。 きちんと伝えることのできない自分の弱さに苛立っている俺の耳に、水奈の 声が飛び込んできた。 「お兄ちゃん、優しいね」 「……え」 「さっきの、聞こえてたから、私」 俺の想像より、水奈はずっと強かった。 俺なんかより、水奈はずっと強かった。 「ヒドイ病気なんだね」 「……あ、ああ」 まるで他人事のように淡々と語る水奈に、俺はただ頷くことしかできなくて。 「手術って、痛いのかな」 「……」 「お兄ちゃん、どう思う?」 「……さあな」 どう答えたのか、どう答えていいのか、俺自身よくわからない。 それからしばらく、親父が病室に帰ってくるまでのことは覚えていない。 多分、上の空で支離滅裂な答えを返してたんだろうと思う。 「お、起きたのか」 「ん」 短い挨拶。 そして、それに続く長い沈黙。 「……お兄ちゃんから聞いたんだけど」 「ん、な、何をだ?」 「大丈夫、私、手術うけるから」 躊躇い、口を濁し、先送りしようとする親父。 それを遮るかのように、先手を打って答える、水奈。 「……そ、そうか、それじゃ、先生に言わないとな」 「うん。でも、お金は大丈夫なの?」 「そんなの、子供が心配することじゃない。お前は元気になることだけ考えろ」 そう言いながら笑う親父。 その様子を見て、俺はなんだか安心した。 ああ、いつも通りなんだ、って。 「おい、洋二。ちょっと行ってくるからな」 「ん、ああ」 「大丈夫だって。そんなに心配しないでよ、お兄ちゃん」 そう言って笑う水奈に、俺は肩を竦めて笑い返すのだった。