三題噺/お題:『レンガ』『50』『毛玉』

「寒い国から来た浪人・接触編」

なかぢ


「ふ…わぁぁぁぁぁ…ぁぁぁっ…」
 うららかな日差しの、ゴールデンウィーク明け。
 予備校の授業を終えた小鳥遊 一(たかなし はじめ)は、机に座ったまま大き
なあくびを漏らした。
「ふう…」
 別に、授業がつまらなかったり、早くも内容についていけなくなっているわけで
はない。
 むしろ高校時代よりも、大学受験という特定目的に向けた『実弾』をたたき込ま
れるので気が抜けないのだが、より緊張を強いられるため、解放されるととたんに
眠気が襲ってくるのだ。
「………」
 再びこみ上げてきたあくびをかみ殺し、一は教科書や筆記用具の入ったバックパ
ックをつかんで椅子から立ち上がった。
 教室を出ながら薄手のコートの胸ポケットに右手を突っ込み、PDAを取り出す。
 電源スイッチを押して明日の授業内容と、帰りの地下鉄東西線の時刻表を確認し
たところで、一は顔を上げた。
「ん?」
 階段のすぐそばに、見慣れた小さな人影が所在なげに立っている。
「よ、先輩…じゃなかった、麻紀」
 手を挙げてあいさつすると、その人物は一の姿をみとめてにっこり微笑んだ。
 左 麻紀(ひだり まき)。
 一の一年先輩に当たるこの少女は、去年一年、自宅で浪人生活を続けたものの受
験に失敗、今年から一と同じ予備校に通うことになった。
 一の進学希望先は電子工学科、麻紀は薬学科なので、授業が同じになるのは集中
講義の英語補講くらいなのだが、同じ高校出身で、しかもクラブの先輩後輩だった
という関係から、二人はここのところこうして授業の終わりに待ち合わせて一緒に
帰宅したり、食事に行ったりすることが多くなっていた。
 以前、この予備校で思いがけなく再会したとき、一は麻紀に『先輩と呼ばないで
欲しい』と言われていたのだが、どうも自分より年上の、しかも先輩だった相手を
名前で呼び捨てにする事に対する抵抗感はぬぐい去れなかった。
「今日の授業はもう終わり?」
 麻紀が両手で下げている小さなカバンを顎で示しながら、一が聞く。
 こくっ。
 麻紀はうなづくと、ほんの少しだけ微笑んでみせた。
「そんじゃ帰ろうか? と言っても、今日は美春が寝坊したんで、俺は昼ご飯食べ
て行かなきゃならないんだけど…」
 美春というのは、一の妹で、今年高校3年生。
 両親が共働きの小鳥遊家で、家事一切を切り盛りしている。
 ただ、勉強とクラブで忙しいため、たまに寝坊して一家全員朝食、弁当抜きにな
るのが玉に瑕だ。
「美春ちゃんも…お寝坊さんすること…あるんですね…」
 ちょっとした物音にもかき消されそうな、小さなハイソプラノの声で麻紀がぽそ
ぽそとつぶやくように言う。
 ちなみに、麻紀は美春とも顔見知りだ。
「するする。アイツ、学校では結構男子に人気あるらしいんだけどさ…結構、ドジ
やったりするんだよ」
 にっこり。
 麻紀が微笑む。
「わたしは…兄弟いませんし…今は…母も帰りが…遅いから…」
「あ…いや…」
 ごめん…と謝り掛けた一を、麻紀が手で制する。
「小鳥遊くんの…せい…じゃ…ありません…から…」
 今年の春、麻紀の両親は離婚した。
 麻紀の母親はバリバリのキャリアウーマンなのだそうで、生活に不安はないらし
いのだが、その分帰りが遅く、麻紀はいつも寂しい思いをしているようだ。
「と…とにかく、こんなところで突っ立ってるのもなんだから出ようか? 先輩は
昼飯どうするんだ?」
 麻紀を階段の方にうながしながら、一は話題を変えた。
「えぇと…それじゃあ、わたしも…小鳥遊くんに…おつきあい…します…」
「え? でも、帰ればご飯あるんじゃないの?」
「一人で…食べても…美味しくないから…」
「そ、そうだな…えっと、それじゃあファーストフードでいい?」
 こくっ。
「お任せ…します…」
「うん。それじゃ行こうか」
 一は、麻紀とともに、予備校のすぐそばにあるファーストフードへと向かった。
「先輩は何食うんだ?」
 カウンターに並びながら、麻紀に問いかける。
「わたし…あまり、こういうお店に…入ったこと…ないから…」
 ちょっと不安そうに店内を見回しながら、麻紀が答える。
「あ、そっか」
 今時の女性にしては珍しく、麻紀はどちらかというと和食党だ。
 しかも、好きな食べ物はご飯(米飯)である。
 ご飯とみそ汁、それにお新香などがあればそれだけで満足らしい。ファーストフ
ードよりは、牛丼屋などの方が好みだったはずだ。
 このことは忘れないようにしよう。
 一は心の片隅にメモすることにした。
「んーと…じゃあ先に2階へ上がって席取っといてくれないかな? 適当に買って
持っていくから」
 こくっ。
 麻紀はうなずくと、2階へある客席へ向かっていった。
 そして、待つことしばし…。
「いらっしゃいませーっ。ご注文をどうぞーっ」
 むやみに元気な店員に注文を告げる。
「それではお会計を先にお願いします。税込みで950円になりまーす」
 お釣りを受け取り、財布を開けたところで一はふと気づいた。
(そう言えば…そろそろ財布買い換えないと…)
 札をいれる部分はしっかりした作りなのだが、小銭入れの部分の内貼りが度重な
る酷使ですり切れて毛羽立ち、一部には毛玉のようになっている部分がある。
 このままでは遠からず、小銭入れの部分に穴が空くであろうことは容易に推測で
きた。
(とりあえず、飯を食ってから考えよう…)
 店員からトレーを受け取ると、一は麻紀の待つ2階へ向かった。
「………」
 2階は意外と空いていた。この辺りはオフィス街でもあるので、会社へ持ち帰っ
て食べる人も多いのだろう。
 そんな中、窓際のカウンター席に座り、物憂げに頬杖をついて外を眺める麻紀は、
逆光でありながら室内からの明かりを浴びて、一種幻想的な雰囲気を醸し出してい
た。
「小鳥遊…くん…?」
 かぼそい声にはっとなる。
 気がつくと、ちょっと頬を赤らめた麻紀がこちらを不思議そうに見ていた。
「あ…ああ、ごめん」
 あわててトレーを麻紀の前に置く。
「どうしたん…ですか…?」
 まさか先輩に見とれてた…なんて言えるわけもない。
 一は軽く首を振った。
「いや、なんでも。さ、それより食おうよ」
「はい」
 こっくりとうなづくと、麻紀はハンバーガーの包みを手に取った。
「………」
 そして、包みを開けると、物珍しそうにハンバーガーを眺める。
「うん? どした?」
 特大ハンバーガーを頬ばりながら、一は麻紀に訊ねた。
「あ、いえ…普段、こういうのは…食べないので…」
「うーん? 牛丼屋か回転寿司の方がよかったかな?」
 一の言葉に、麻紀が苦笑する。
「いいえ…わたしも…ごくたまには…こういうの…食べますから…」
 思わず『ごくたまにはってどれくらいの頻度なんだ?』と聞いてみたくなった一
だが、あわててその言葉を飲み込む。
「………」
 小さなそしゃく音とともに、麻紀がハンバーガーを食べ始める。
 その様子は、小動物がでっかい木の実にかぶりつくようで微笑ましかった。
「あの…?」
 思わず、頬をゆるめる一に、麻紀が不思議そうな目を向ける。
「あ、いや…なんでもないよ」
 首を振ってゆるんだ頬を引き締めると、一はポケットに突っ込んであったPDA
を取り出した。
 電源を入れ、スタイラスを取り出して簡単な家計簿ソフトを立ち上げる。
 レシートを見ながら購入品目や購入金額を入力していく。
「………」
 一通り入力し終わったところで顔を上げると、麻紀がじーっと真剣な目で一の手
元を見つめていた。
「うん?」
「それ…」
「これ?」
 持っていたPDAを掲げてみせる。
 こく。
「携帯電話…?」
「いや、これはまぁ…言ってみれば小さなパソコンみたいなもんかな」
 そう言って、麻紀の手に載せてやる。
 男の一には手のひらサイズでも、女の、しかも手の小さい麻紀にはまるでレンガ
でも載せたかのようにオーバーサイズだった。
「ペットが…メールを…運んでくれるのは…持ってます…」
 PDAを不思議そうに眺めながら、麻紀が言った。
 どうやら、例の有名メールソフトを同梱した、電話会社謹製の携帯メールマシン
のことらしい。
「へー。でも、どこで買ったんだ? あれって結構前のじゃ…?」
「うちの近所に…リサイクルショップがあって…そこで…」
「なるほど」
「でも…わたし、携帯もPHSも持っていないから…」
「おいおい…なんのために買ったんだよ」
「あれだけで…メールできると…思った…から…」
 ぽそぽそとつぶやくと、麻紀は頬を染めた。
「まぁ、確かに美春もそんな勘違いしてたけどね…」
「これって…メールとか…インターネット見たりとか…できるんですか…?」
「できるよ」
 一はうなづくと、持ち歩いているPHSカードを取り出した。
 そして、それを麻紀から受け取ったPDAのコンパクトフラッシュスロットに差
し込む。
「ちょっと待ってね」
 接続画面が出た後、しばらくして一がホームに指定しているウェブサイトが表示
される。
「こんな感じ」
 実は一がホームに指定しているのは、一と一の父親である剛(つよし)が共同で
運営しているフリーソフトのダウンロードページだ。
 剛は札幌市内にある運送会社の配送データセンターにつとめている。
 若いころからの趣味が車とコンピュータという、趣味をそのまま仕事にしてしま
ったような人物だ。
 ネット界では、フリーソフトの作者として割合有名でウェブサイトのアクセス数
も多いのだが、身近でこのことを知るのは剛本人と、剛に任されてサイトのメンテ
ナンスをしている一だけである。
「わぁ…」
 控えめな感嘆の吐息を麻紀が漏らす。
「わたしも…携帯電話買えば…できるかな…」
「あれ? 携帯買うの?」
「ええ…最近、母が仕事で帰りが遅いので…いつでも連絡を取れるように…と」
「へえ。まぁ、お母さんとの通話はともかく…誰かメール送りたい相手いるの?」
 一がそう聞くと、麻紀は眉根を寄せ、口元に指を当てて考え込んだ。
「………」
「………」
 たっぷり1分ほど沈黙した後、麻紀は情けない顔つきでふるふると首を振った。
「いません…」
「いませんって…元のクラスメートとかは?」
「みんな…卒業したあとは…進学先とか就職先で忙しいみたいで…」
「そっか…」
 まぁ、麻紀はこの通りの性格だ。
 元々友達が少ないことに加えて、二度に渡る受験の失敗や両親の離婚など、精神
的にこたえることがあって、以前のクラスメートには連絡を取りづらいのかも知れ
ない。
 一はそう解釈することにした。
「ああ、そんじゃ、携帯買ったら、俺のところにメールしてみる?」
「え?」
 うつむいていた麻紀が、ちょっと驚いたような表情で顔を上げる。
「でも…迷惑じゃ…」
「別に迷惑なんかじゃないさ。せっかく携帯メール端末持ってるのに、使わないと
もったいないだろ?」
 そのために携帯電話本体の代金と権利料、使用料を支払う必要性が発生するのだ
が、それはまた別の話である。
「は、はいっ…あっ…あの…それじゃ…」
 真っ赤になってもじもじしながら、麻紀が一生懸命に言葉を紡ごうとする。
「お、お願い…します…それと、あのっ…」
「うん?」
「こ、この後…小鳥遊くんはお暇…ですか?」
「ああ、うん。あとは帰るだけだけど」
「そ、それじゃ…携帯電話…見に行きたいので…つきあって…もらえませんか?」
 珍しく早口でそこまで一気に言い切ると、麻紀はほうっとため息をついた。
「あ、ああ…もちろん」
 脊髄反射で返事をしながら、一は麻紀はその表情に思わず見とれていた。
 ぼうっとしている一に、麻紀が不思議そうな目を向ける。
「あの…小鳥遊くん…?」
「あっ? あ、ああ…そうだね、じゃあ行こうか。俺もちょうど財布を買い換えよ
うかと思ってたから」
「お財布…?」
「うん。小銭入れのところに穴が空きそうなんだよ」
 スイッチを切ったPDAをシャツのポケットに突っ込みながら一は言った。
「小銭入れ…?」
「うん」
 麻紀はなにか考え込んでいるようだった。
「あの…」
「?」
「それなら…買わなくても…済むと思います…わたし、作れます…から…」
「へっ? 小銭入れを?」
 こくっ。
 うなづきが帰ってきた。
「わたしの趣味…パッチワーク…だから…」
「ああ」
 そう言えばそうだった…と一は思い出した。
 以前、学校で一緒に弁当を食べたとき、弁当箱を入れてきた袋が手作りだと言っ
ていたはずだ。
「へー…でも、パッチワークって小銭入れなんかも作るんだ?」
「いろいろ…作りますよ…バッグとか…ポーチとか…大きいものになると…壁掛け
…とか…」
 そう語る麻紀は、心なしか普段より遙かに生き生きしているように見える。
「ははは」
 そんな麻紀の様子に、一は思わず表情をゆるめてしまった。
「………?」
「ああ、いや…なんだか、趣味のこと話してるときの先ぱ…麻紀って生き生きして
ていいなって思ったからさ…別にバカにしたわけじゃないよ?」
 そう取られてしまったかなと、あわてて付け加える。
「は、恥ずかしぃ…です…」
 ちょっとすねたような表情で、自分の頬を押さえる麻紀。
 きっと、その手には、赤くなった頬の熱さが伝わってきていることだろう。
「恥ずかしがることないって…女の子らしい、いい趣味だと思うよ」
「は…ぃ…」
 最後の方はかすれて聞き取れなかったが、それでも麻紀はこっくりとうなづいた。
「さて、そうと決まったら早速行こうぜ。携帯見に行って、その後は…ええと、あ
あ言うのって手芸屋とかで材料買うのか?」
「あ、材料は…家に…小銭入れを作るくらいなら…ありますから…」
「そっか…それじゃあ、代わりに映画でも見て帰ろうっか?」
「えっ!? あ…のっ…でもっ…」
「あ、ああ、先…麻紀にも都合あるよね。ごめん、先走ったこと言って…」
 ふるふるふる。
 あわてた様子で麻紀が首を振る。
「そ、そうじゃ…なくて…ちょっと…びっくり…しちゃって…」
「びっくり…?」
「あの…わ、わたし…お、男の…人と…その…え、映画なんて…行ったこと…ない
し…」
 頬の赤みが、さーっと首筋の辺りにまで広がっていく。
「あ、そういうことか…いや、別にデートとかそういうことじゃなくて、なんとい
うか…うーん、まぁ小銭入れ作ってもらうお礼というか…」
「………」
 ますます真っ赤になってうつむいてしまう麻紀。
 このままじゃらちがあかない。
 そう思った一は、ちょっと強引な手に出ることにした。
「きゃっ…」
 ぐいっと手をつかまれ、麻紀が小さな悲鳴を上げる。
「ま、とにかく今日は一日俺につきあってよ。ちゃんとエスコートするからさ」
「は、はいぃ…よ、よろしく…お、お願い…いたし…ます…」
 すっかり思考回路がショートしているのか、麻紀はどこか夢見るような表情でこ
くこくとうなづいた。
「よしっ! じゃあ行こう!」
 麻紀の手を取って歩き出しながら、今日この後のデートが楽しいものになるとい
いな…と一の心は躍っていた。
 そして、願わくば…麻紀も同じ気持ちでありますように…と、心の中で付け加え
る一だった。

(続く…かも知れない)


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